もくまおうです!
『なぜ現代人は読書ができないのか?』
今回はその結論を出してくれた本、三宅香帆さんの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について紹介します。
僕自身も本は読む方だと思いますが、疲れている時は本ではなくついスマホに手を出してしまいます。
この本を読むと、そもそも昔と現代では読書の存在意義が違うことが分かります。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」から学んだことを3点紹介すると、
①現代の読書は娯楽ではない
②読書にはノイズがある
③「全身全霊」をやめる
になります。
現代の読書は娯楽ではない
著者の三宅さんは、
『現代に生きる私たちは「労働と読書の両立」に苦しんでいる』
引用:なぜ働いていると本が読めなくなるのか(序章 労働と読書は両立しない?)
と言います。
これを象徴するのが速読本です。
Amazonの「読書法」ランキングや書店では、様々な読書法や学習法の書籍が並んでいます。
「速読法」、「仕事に役立つ読書法」など、速く効率の良い情報処理技術が読書術として求められています。
そして、多くの人が目的としているのが「労働と読書の両立」です。
本が売れなくなったのは労働環境の変化
本は特に戦後のバブル経済に至るまで、人口増加にともない本は売れていました。
本が売れなくなったのは1990年代後半以降になります。
これには、労働環境の変化に原因があるようです。
三宅さんは、このようにまとめています。
1990年代以前の<政治の時代>あるいは<内面の時代>においては、読書はむしろ「知らなかったことを知ることができる」ツールであった。そこにあるのは、コントロールの欲望ではなく、社会参加あるいは自己探索の欲望だった。
引用:なぜ働いていると本が読めなくなるのか(第七章 行動と経済の時代への転換点)
しかし90年代以降の<経済の時代>あるいは<行動の時代>においては、社会のことを知ることを知っても、自分には関係がない。それよりも自分自身でコントロールできるものに注力したほうがいい。そこにあるのは、市場適合あるいは自己管理の欲望なのだ。
引用:なぜ働いていると本が読めなくなるのか(第七章 行動と経済の時代への転換点)
90年代、バブルは崩壊し日本は長い不景気に突入。就職氷河期がはじまりました。
石田光規さんの『産業・労働社会における人間関係ーパーソナルネットワーク・アプローチによる分析』によれば、企業は非正規雇用労働者を増加させ、これまでの常識だった「企業に忠誠心を持っていれば安心」という感覚は消えていきました。
結果、90年代以降は現代では当たり前である「自分のキャリアは自己責任で作っていくもの」という価値観が広がることになりました。
読書にはノイズがある
90年代以降、労働環境の変化とともに本が売れなくなりましたが、一方で伸びている本のジャンルがあったそうです。
それは「自己啓発書」です。
なぜ読書離れが起こるなかで、自己啓発書読まれたのでしょうか?
自己啓発書はノイズを除去する
社会学者の牧野智和さんは、自己啓発書の特徴は、「ノイズを除去する」あると指摘しています。(『日常に侵入する自己啓発ー生き方・手帳術・片づけ』)
自己啓発書は、自分自身の変革や肯定を目的とするものですが、その一方で、その自己が「社会」を忌まわしいものとし、「社会」を遠ざけようとするジャンルだと言うのです。
僕も自己啓発書はとても好きなジャンルで、この考え方には驚きました!
でも言われると、自己啓発書には、自己を磨くことで周りに流されないという反社会的要素を求めているなとも感じます。
文芸書や人文書はノイズを提示する
本では、ノイズの除去を促す自己啓発書に対し、文芸書や人文書などの社会や感情に語る書籍は、人々にノイズを提示する作用があると語られています。
読書は知らなかったことを知る偶然性があり、また読書で得たものは知識となります。
本を読むことは、働くことの、ノイズになる。
読書のノイズ性ーそれこそが90年代以降の労働と読書の関係ではなかっただろうか。
引用:なぜ働いていると本が読めなくなるのか(第七章 行動と経済の時代への転換点)
本が読めなくても、インターネットはできるのはなぜか?
働いていて、本が読めなくてもインターネットをしている人はたくさんいます。
電車の中でも圧倒的に読書よりスマホを操作している人が多いですし、僕自身も読書よりスマホをする時間が多いです。
これは、インターネットには求めている情報だけを、ノイズが除去された状態で読むことができるからだと三宅さんは言います。
ここまでをまとめると、
読書をして得る知識にはノイズがある。インターネットなどで得る情報にはノイズがない。
知識=ノイズ+知りたいこと。情報=ノイズ+知りたいこと
になります。
「全身全霊」をやめる
「働いていると本が読めなくなる」理由。
この本の中で、僕はこの部分がとても腑に落ちました。
本が読めない状況とは、新しい文脈を作る余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。
引用:なぜ働いていると本が読めなくなるのか(第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?)
そもそも、本を読む必要はあるのか?
僕は、この本を読んでいくと、
『そもそもノイズがある読書って魅力があるの?』
と疑問に思いました。
三宅さんは、「本は遠く離れた他者の文脈を知ること」だと語っています。
他者は自分と違う人間ですが、自分に影響を与えてくれます。
遠く離れた他者もまた、いつかどこかで文脈でつながるかもしれません。
人生は、他者とのつながりで道は開けます。
本は、遠く離れた他者の文脈につながることで、道は更に開けるのかもしれませんね。
自分で自分を搾取する「疲労社会」
企業が長時間労働を強制するのをやめれば、「働きながら本を読める社会」をつくることができるのでしょうか?
実は、問題はそこだけではないようです。
実は私たちの敵は、自分の内側にいるかもしれないのです。
現在の新自由主義は、外部から人間を強制しようとはしません。
むしろ競争心をあおることで、あくまで「自分から」戦いに参加させようとします。
なぜなら新自由主義は自己責任と自己決定を重視するからです。
戦いを望み続けた自己は疲れてしまいます。
だからこそ、この本では「まず休む」、「全身全霊をやめる」ことを提案していました。
三宅さんのこの文章が好きです。
新しい文脈というノイズを受け入れないとき。
そういういうときは、休もう。
と、私は心底思う。
疲れた時は、休もう。そして体と心がしっくりくるまで、回復させよう。本なんか読まなくてもいい。
引用:なぜ働いていると本が読めなくなるのか(第七章 行動と経済の時代への転換点)
まとめ、書評
以上、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」から学んだことを、
①現代の読書は娯楽ではない
②読書にはノイズがある
③「全身全霊」をやめる
の3点紹介しました。
僕は、この本を読む前に、「なぜ働いていると本が読めなくなる」理由はスマホの普及が原因だろうと予想していました。
本を読んで答え合わせをすると、スマホの普及が「ノイズがない情報を取り入れやすくなった」という点では正解だったかもしれません。
しかし、本が読めない理由は、更にマクロで捉える必要があり、「自分のキャリアは自己責任で作っていくもの」という新自由主義に人々が疲れてしまっているという点には驚きました。
読書ブログをやってる身としても、無理はせず自分のペースで本を読み、そこから学んだ知識を発信したいと強く思いました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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